介護が終わるその日まで

たまには愚痴を溢さずに1日を送りたい

雪の朝

季節中数回雪が降る地域ですが

今朝はうっすら積もっています

 

雪国生まれなので雪が降るとちょっと楽しい気分になります

 

空から落ちてくる塵のような雪を見上げて

故郷と子供の頃を思い出した朝です

 

 

年末に夫が帰省

規制があるなかでも

買い物やドライブ、散歩、トレッキングなど

時間を見つけて出掛けました

 

夫も介護に協力的で

一人で抱え込まず過ごす日々を送っているうちに気持ちが楽になりました

 

夫は義母や義姉と家族だけの話し合いの場を設け

お互いの協力なしでは在宅勤務介護は難しいこと、私がどんな気持ちでいるかなど話してくれたと後から聞きました

 

一人で担う現状に変わりはないけれど

義母の態度には変化がみられるようになりました

 

義姉からのサポートは基本的には受けません

期待して裏切られたことが

私には耐え難いことだったと認識したから

 

夫にいろいろなことを聞いてもらい

胸の内を言葉にしていきながら

自分自身の気持ちの整理ができた時間でした

 

今でもちょっとのスイッチで涙は出てしまうけれど

心の平穏を保てる時間はかなり長くなっています

 

介護の負担が増えていく過程で孤独感を募らせていたけれど

夫が現実的に側にいることで

味方がいる、ひとりではないと思えたから

気持ちを立て直すことが出来たと思います

 

 

飲み込めない思いがなくなったわけではないけれど

自分のことを少しだけ受け入れられるようになったと思う

 

頑張っていると言い切れるところまではいっていないけれど

頑張っていないわけではないとは思える

 

小さな変化だけど

そう思えるようになってから

義母の前でも笑顔が出せるようになったのは確かです

 

介護はどれだけ頑張っても後悔はすると言われました

私は自分を犠牲にしてもこの現状を投げ出さない

なにかしらの後悔が待っているなら

やらなかった後悔が自分を苦しめると思うから

 

ただ

傲慢にならず

周囲に頼りながら

求められることに向き合い

残りの時間を過ごしていこうと思っています

 

 

今回思った以上に夫が私を心配してくれていたのが正直意外でした

何度も同じ話を繰り返す私に根気よく付き合ってくれました

 

合理的であまり感情的にならない人

今私に必要なのは気持ちを吐き出させることだと判断したのだろうと想像できるけど

初めて『優しく』してもらったと感じる時間でした

感謝しています

 

 

私は三人姉弟の長女で下に二人の弟がいる

現在一番下の弟が母親と暮らしている

 

私は母親が苦手

子供の頃から娘というより同性の味方として寄りかかられていたと感じてきた

 

自分とは正反対と思ってきたが

同族嫌悪なのかもしれない

 

すぐに責任転嫁する思考や、被害妄想気味なのは似ていると認めざるをえない

親の嫌な面だと思っているのに

似ているなら直せばいいのに

いまだにそれが出来ない自分が好きではない

 

母親とはここ10年近く話をしていない

話すこともないのだけれど

 

 

現在義母の介護の日々を送る中で

弟に母親を任せきりにしていることが急に気になり出した

相手が誰であれ構ってほしい面倒くさい人を押し付けてきたが実子には親を看る義務がある

どんなに合わない親でも姉弟のひとりに負担させていいわけがない

 

実際遠距離のため出来ることは限られるが

見て見ぬふりは無責任だと思うようになった

 

弟から連絡が入る時は金銭絡みだったため

距離を置いてきたけれど

思い立って今の気持ちを伝えたら

 

自分も出来ることしかやっていないから気にしないでくれ

自分を労ってください

 

と返事をくれた

 

弟は優しい

昔から思ってきたけど

三人の中でいちばん我慢を強いられてきたはずなのに

家族の誰にでも優しくできる人間

 

不甲斐ないところもあるけれど

彼の優しさには頭が下がる

 

 

 

介護の日々はひたすら自分を消耗していると感じるけれど

こうなって気付かされることもたくさんある

この日々は無意味ではないのだと思う

たぶん

きっと

義理姉夫婦の考え

義母が病気になってから診察は月に一度

診察日に次回の予約を決めるので

日程を調整して通院の付き添いを続けてきた

 

義理姉が付き添いの代わりを申し出たことは一度もない

義母も娘は働いているからと頼まない

 

病状の把握は義母の口から知るだけ

 

診察室でのやり取りからわかることもあるし

検査結果や病状経過も直接主治医から聞きたいと思わなかったのだろうか

 

それとも私が逐一報告すべきだった?

 

おまけに少しでも不安になると病院に行きたがり

予約がなければかなり待たされるのに毎週病院通い

 

主治医がいる曜日に合わせて不調になる

 

4、5時間かかって帰宅すると

疲れた動けないと言い続ける

 

疲れるでしょうよ

健常者の私でも疲れる

お昼抜きは当たり前

 

あまりにも私が対応するのが当たり前に扱われてきたから

義理姉が介護要員だと気付かなかったくらい

 

介護認定調査員に

他に手伝ってくれる親族はいないのかと聞かれ

現状を話したら涙が出てきた

 

あれ?頼んでいいの?

私がひとりでやらなくてもいいの?と

 

でも気付かなければよかった

手伝ってもらえないと思うようになったから

 

 

義理姉は土日の都合のいいタイミングで

顔を見せる

 

同居前は週末ヘルパーさんに掃除と昼食の準備をお願いしていた

義理姉が来るとお昼の準備は不要になる

準備といっても温めだけなら必要ないからと勝手にキャンセルされたこともある

 

ヘルパーさんにお願いしていた掃除をしてくれるわけでもないのに

 

仕事ややむを得ない理由以外で楽をするためにサービスを利用することが不満だったと今になってわかる

 

介護はそういうものじゃない

私達は古い人間だから

自分達はもっと長い間どこにも行っていない

親が病気の時に遊びに行く予定を立てるなんて非常識だと

 

彼等の主張はわかったけれど

納得出来ないこともある

でも義理姉と話し合うべきは私ではなく夫

 

配慮にかけていたと謝罪の形はとったものの

義理姉の主張通りにすることへの疑問は残る

 

 

義理兄は弟夫婦が遊びに行くために

手伝いに行かせるわけにはいかないという考え

 

遊びにでかけたら駄目なのね

介護は全て我慢して楽しみを犠牲にして

尽くさなければやったことにはならないのね

 

夫の代わりにお世話をしていると言うなら

ひとりで全て抱えろということなのね

実子である義理姉と分担はできないのね

 

デイサービスもショートステイも母親には合わないと思うとサービスの利用を阻止

本人にもサービス利用のデメリットを伝えたら

行くと言うわけがない

 

火の粉が降りかかりそうになった今

ショートに行かせればいいじゃないかと言う

 

お姑さんと同じ病気じゃないのよ

しかも環境の変化でパニックを起こして病状の悪化が心配されているのよ

 

自分への介護負担が発生しそうになったら

サービスを利用しろなんて都合よくない?

 

お金もかからず

介護を丸投げできる都合のいい人がいると

思われているのだろうな

 

義理姉夫婦、介護サービスの人達も

現状ある程度整った介護現場を維持するために

私が文句を言わずやればいいと思っている気がしてならない

 

 

幻聴

呼び出しベルの音で目が覚める

 

パット交換かと部屋に行きドアを開けたら

鼾をかいて寝ていた

 

あんなにはっきり聞こえたと思ったのに

 

本人は眠剤を服用しても眠れないと言うが

日中テレビを観ながら寝ていることもあり

夜間の睡眠を確保できなくても

どこかで補っている

 

こちらは昼寝なんて許されない

 

ましてや自宅とはいえ

自分の居場所と思えず

帰宅したというより夫の実家に来たという感覚が抜けない

 

息抜き?

休息?

看護師さんが居る1時間ほど出掛けたところで

介護関係の買い物に行く程度

 

義理姉はあなたのやり方が悪いとの考え

 

価値観の違いで

正解はないと言ってくださる人もいる

 

自分が間違っているのではないか

我儘なのではないかと

常に頭の隅にある日々

 

優しく接していない自覚はある

いつも笑顔でなんて無理

 

それが出来ない自分の弱さと向き合い続けるのがしんどい

 

こうして文字にすると

言い訳ばかり

 

優しい気持ちで向き合うことを

私のなにかが阻む

 

義母が自分の欲求を満たすことしか考えていないように

私は私で自分ばかりが大変だと

何故私だけがこんなに抱えなければならないのだと

自分のことしか考えられないからなのだろう

 

同じなのかもしれない

 

よくやっていると言われれば言われるほど

居心地が悪くなる

 

私の気持ちが楽になるには

今やりたくないと思っている気持ちを取り除くしかないということ?

 

難しい

どうして

朝4時に呼び出されパット交換

 

オーバーテーブルの上にメモ書き

お店指定でみたらし団子を買ってきてほしい

 

どうしてお気楽にそんなことが言えるの

 

そのお店があるのは少し離れた場所にあるスーパー

 

寝たきりになる前買い物を手伝い始めた頃

この商品はこのメーカーと指定され

スーパーをハシゴさせられていた

 

買い物を届けに戻ると

追加で走らされたことが何度もある

しかも1日に何度も

 

欲しいものがすぐ手に入らないのはストレスだろうと

言われた通りに動いていたけど

頻繁になって苦情を伝えても

自力では行けないからと

 

暫くして急に

これからはメーカーに拘らないから

行ったお店にあるものを買ってきてくれればいいと変わった

 

それでも好みの味じゃないと

入っていかないといって食べない

期限切れで廃棄

 

認知の症状はないものの

記憶力が低下してきているから

そんなことを繰り返してきたのは忘れているのだと思う

 

積み重なった澱を消化できずに

日々消耗する私は記憶力が健在

 

水に流せば自分が楽になる

言っていることは理解できるが

気持ちがついていかない

 

自分を抑えて希望を叶えてあげられない

優しい気持ちになれない

 

不満があっても応じればいいと思う自分と

何故私がやらなければならないと頑なな思い

 

やってほしいとわかっていることを放置することへの罪悪感

罪悪感を持たないためには買いに行けばいい

 

買いに行けば自分を磨り減らす

 

少しでも自分が楽なのはどちらなのだろう

 

夫への感謝を軸に考えて

行くしかないのだと思う

 

それでもやっぱり行きたくない

 

お義姉さんにお願いしてくださいと突き放したけど

それくらいやってあげればいいと思われたくない

 

結局買ってくることを私は選ぶ

 

今は優しさで行動することが出来ないけれど

いつか行動に気持ちが伴うようになるのだろうか

 

今は苦しくても

この選択が正解だったと

後悔せずに済んだと

思える日がくるのだろうか

 

夫にこのことを言ってはいけない

我慢の限界とは

ここ1週間以上便のパット交換が

1日に10回近く続いている

 

今日は午前中だけで5回

 

看護師さんは『もう嫌だ』と思ったら呼んでくれていいと言ってくれる

 

でも甘えているようで呼べない

 

泣きたくなるのを堪えて回数をこなしながら

どこまで我慢すればいいのかわからない

 

義理姉はたかが一年半でという

息抜きすればいいと言いながら

長男夫婦が看るものだという考え

その長男は不在

誰も助けてくれない

 

覚悟が足りないのかもしれない

出来ないと言えない

言いたくない

助けてと言えない私が悪いのだろう

 

それでも苦しくなる